2016年11月20日日曜日

ポジティブサイコセラピー



ポジティブ心理学の挑戦 “幸福
 
ポジティブ心理学の本です。
ポジティブ心理学とはどんなものか、従来の心理学とどう違うのか、どんな普及活動をしているのか、といったことが著者自身がポジティブ心理学を研究するようになった経緯と共に書かれています。
著者はペンシルベニア大学の教授でアメリカ心理学会の会長のマーティン・セリグマン。セリグマンは著名な心理学者で学習性無気力の実験が良く知られていますが、ポジティブ心理学の分野でも草分け的存在のようです。
教授の本だけあって、内容は基本的に研究などの証拠に基づいており科学的です。ただ、この分野はまだ発達途上ということもあり、信頼性は盤石ではないようです。
たとえば、抑うつ度を下げ幸福度を上げるとして本書で勧められている「3つの良いことを書くエクササイズ」ですが、良いことを毎日3つ書くと幸せになれるか?によるとその後の研究では効果がまちまちとのことで、まだはっきりと結論が出せる状況ではなさそうです。この本は(断りはありますが)やや楽観的な解釈に片寄っている感はありました。
文章は易しいとは言えないですが、あまり学術的に偏らず一般的読み物として読むことができました。ただ、本文だけで400ページを超えておりかなり分量があります。
内容的には、第1章~第3章がポジティブ心理学の誕生から理論・実践方法までをカバーしており一番重要だと思います。この部分はポジティブ心理学がどういうものでどういったことを目指しているのがわかりやすく書かれており良かったです。
とくに、幸せという指標の問題を指摘して、それに代わりウェルビーイングを人生や社会政策の目標にすべきと書かれている部分は新鮮で読みごたえがありました。
4章以降は、コーチング・教育・軍隊といった場所でのポジティブ心理学の普及活動、達成理論やレジリエンについてなの話などが続きます。ただ、話がいろいろな方向に飛ぶため系統だって書かれているようには思えませんでした。トレーニングもいくつか書かれていますが、概要どまりなので詳細は他の本を読む必要がありそうです。


○ 従来の心理学とポジティブ心理学
これまでのセラピーは抑うつなどの問題を抱えた人のためのものだったが、精神的な障害はないのに惨めな人生を送っている人というのは普通に存在する。ポジティブ心理学はそういった人にも役に立つ。
サイコセラピーと薬の改善率はプラセボも含めて65%ほどで、その効果も一時的で時間の経過とともに弱まる。これは情動不安が多くの場合にパーソナリティ特性から生じており、大部分のパーソナリティ特性には遺伝性があるため。
ポジティブサイコセラピーのスキルとエクササイズは従来のセラピーのものとは異なっているので、両者を組み合わせることでより高い効果が期待できる。

○幸福理論の問題
近年幸せについて多くの研究がおこなわれており、幸せを人生や政策の目的にすべきという意見もあります。
しかし、セリグマンは幸福理論には不備があると言いその問題点をあげています。
・幸せという言葉が「明るい気持ち」と表裏一体になっている。明るい気持ち「ポジティブ感情」のひとつであるが、ポジティブ感情はウェルビーイングの構成要素の一つにしかすぎない。
・幸福理論による幸せは「人生の満足度」で測定するが、人びとが人生の満足度をどう報告するかは70%以上がそのときどきの気分で決まってしまう。頭で判断する割合は30%にも満たない。人生の満足度は本質的に陽気な気分を測定するものだ。
・「人生の満足度」が低くても自分の人生に意義を見出している人、充実している人はいる。
・内向的な人は幸福度が低い。幸福度をもとに政策を決めると、内向的な人や幸福度の低い人の意見を低く反映してしまう。
・子どもを持つことは幸福度を下げる。ではなぜ夫婦が子供を持つことを選ぶのか。あるいは個人的な幸福を唯一の目的にするならば自分の老いた両親を世話することを選ばないかもしれない。

○ウェルビーイング
ウェルビーイングとは自由のような「構成概念」だといいます。
自由はそれ自体が実在するものではなくいくつかの要素から構成されます。市民がどれだけ自由だと感じているか、出版物がどれくらいの頻度で検閲されているか、選挙の頻度、役人の汚職率・・・、これらを測定することで全体像を得ることができます。ウェルビーイングも同じように一つの尺度では定義しきれない存在で、いくつかのそれぞれ測定できる要素から構成されていると言います。
ウェルビーイングのそれぞれの要素は、次の3つの性質を備えていなければならないとしています。
1 ウェルビーイングに寄与する
2 そのもののよさのために多くの人が求める。単に他の要素を得るために求めるのではない
3他の要素からは独立して(単独に)定義され、測定される
この本ではウェルビーイングの構成要素として5つあげています。

・ポジティブ感情
楽しみ、歓喜、恍惚感、温もり、心地よさなど、自分が「感じるもの」。幸福理論の目標だがウェルビーイングでは複数ある要素のひとつでしかない。
ポジティブ感情を得ること目的とする生き方を著者は「快の人生」と呼んでいます。

・エンゲージメント
「フロー」に関すること。無我夢中になる行為の最中での没我の感覚。
エンゲージメントはポジティブな感覚ではない。フロー状態においては、通常、思考や感情は存在しておらず、回想においてのみ「あれは楽しかった」ということができる。
フロー状態を得ることを目的とする生き方を著者は「充実した人生」と呼んでいます。

・意味・意義
人間はどうしても人生に意味や目的を欲しがる。
自分よりも大きいと信じるものに属して、そこに使えるという生き方を「有意義な人生」としています。

・達成(または成功)
ポジティブ感情、エンゲージメント、意味・意義、ポジティブな関係性のいずれを得られることがなくても、勝つためだけ勝つという人生をおくる人がいる。
達成のための達成に捧げる人生を著者は「達成の人生」と呼んでいます。

・関係性
ポジティブな関係性の有無がウェルビーイングに深く影響することは否定できない事実だが、あらゆるポジティブな関係性は、ポジティブ感情、エンゲージメント、意味・意義、達成のいずれかを伴う(独立した要素かわからない)。
セリグマンは、ポジティブな関係性がウェルビーイングの構成要素として適切か、人は「関係性のための関係性を求める」かはわからないと書いていますが、社会脳、群居感情、集団選択といった事実からウェルビーイングを構成する基本的要素のひとつとしています。

○エクササイズ
ポジティブサイコセラピーは実践でも応用でもまだ始まったばかりの段階であるため、結果は予備的とのことです。
この本では数個のエクササイズを紹介していますが、あまり詳細は書いていないので詳しく実践するには他の本も見る必要がありそうです。
・感謝の訪問
自分の人生をよい方向に変えてくれた人、頭に浮かんだ人に感謝の手紙を書いて、自分で直接その手紙を届ける。
・うまくいったこと
今日うまくいったことを3つ書き出して、それらがどうしてうまくいったのかを書いてみる。
・特徴的強み
VIA強みテストを受ける。テストを完了した後で、毎週決まった時間を設け、自分の特徴的強みを新しい方法で活用する。
・積極的-建設的反応
相手に反応する方法は基本的に4種類あるが、そのうち積極的-建設的反応だけが相手との関係性を強化する。相手が話しかけてくるたびにその話に注意深く耳を傾け、積極的かつ建設的に反応する努力をしてみる。

2016年11月11日金曜日

ポジティブ思考の落とし穴

<自己啓発本は前向きになることが幸せな人生のカギだとうたうが、楽観主義を強要されて鬱になるリスクも>

「楽観的になりなさい!」「幸せは自ら選んで手に入れるもの」――書店には幸せになるための自己啓発本が数多く積まれている。アメリカで1952年に出版され、15カ国語に翻訳された『積極的考え方の力――ポジティブ思考が人生を変える』(邦訳・ダイヤモンド社)は今でも根強い人気だ。

 プラス思考を身に付ければ誰でも幸せになれるという考え方は、問題に対処するスキルを向上させたり心の健康を保つ手法として、学校や職場、軍隊などで広く採用されてきた。

 しかしこの考え方が広まるにつれて、鬱や不安に悩んだり、時々ネガティブな感情を抱くだけでも恥ずべきことだと思う意識も高まり始めた。その弊害は、心理学の学術誌「モチベーション・アンド・エモーション」でも指摘されている。

 同誌10月号に掲載されたエール大学の研究者エリザベス・ニーランドらの研究によると、感情を簡単にコントロールできると考えている人は、そうでない人に比べて、ネガティブな感情を覚えたときにそれを自分のせいだと感じやすいという。

 心理学者たちは何年も前から「ポジティブ心理学崇拝」の危険性、特に自尊心に及ぼす影響を研究してきた。その結果、ポジティブ思考によって幸せになれる人もいるが、挫折感を覚えたり鬱に陥る人もいることが示されている。

【参考記事】「誰かに認められたい」10代の少女たちの危うい心理

 幸せじゃないのは自分に問題があるせいだと責め立てられるようなポジティブ思考の押し付けによって、アメリカの鬱病患者はかえって増加していると訴える専門家もいる。

 メンタルヘルスにおけるポジティブ心理学のアプローチの始まりは、1950年代にさかのぼる。アメリカの心理学者アブラハム・マズローが54年に著した『人間性の心理学――モチベーションとパーソナリティ』(邦訳・産業能率大学出版部)の中で、「ポジティブ心理学」という言葉が初めて登場した。

 マズローはこう書いている。「心理学はこれまでポジティブな側面よりもネガティブな側面ばかりに光を当ててきた。人間の欠点や病気、罪について多くを研究してきたが、人間の潜在能力や美徳などについてはほとんど目が向けられていない。自ら研究領域を半分に制限してきたようなもので、しかもそれは人間の暗く卑しい心理だ」

笑えない自分に罪悪感

 近年は企業や軍隊でもポジティブ心理学が採用されるようになり、その影響は大衆文化にも及んでいる。だがポジティブ心理学が広まるにつれ、そのアプローチはよりシンプルな言葉で表現されるようになった。「ポジティブ思考」だ。

 心理学者のマーティン・セリグマンが考案したポジティブ心理学の下に、ずさんな研究が数多く発表されるようになったと、ウェルズリー大学のジュリー・ノレム教授は指摘する。それらの研究の大半が、楽観主義とポジティブ思考が幸せな人生をもたらすと主張した。



 だが、このように簡略化されたポジティブ心理学は、むしろ人々の心に害を及ぼすのではないかとの懸念が近年高まっている。「前向きになることを強要されている」と、ボードン大学の心理学者バーバラ・ヘルドは言う。「苦しいときでも笑ったり楽観的になれない人は駄目だという雰囲気がある。深い悲しみに陥っても、数週間で乗り越えるべきだと思われている」

 ヘルドによれば、ポジティブ思考の強要は2段階で襲ってくる。まず心に痛みを抱えている自分が嫌になる。次にそこから前に進めず、プラスの側面に集中することができない自分に罪悪感を覚えるようになる。

 ポジティブ思考が裏目に出ることは複数の研究でも証明されている。クイーンズランド大学(オーストラリア)が12年に行った研究では、後ろ向きになるべきではないと周りから思われていると感じていると、よりネガティブな感情を抱きやすいことが分かっている。

 09年にサイコロジカル・サイエンス誌に掲載された研究では、「私はみんなに好かれる人間だ」などポジティブな言葉を使うよう強制されると、かえって自信が持てなくなる人がいるという。

【参考記事】中絶してホッとする女性はこんなに多い──ネットで買える中絶薬利用、終身刑のリスクも

プラス思考で金融危機に

 世の中には、ポジティブ思考よりもネガティブ思考、いわゆる「防衛的悲観主義」のほうが向いている人が存在する。防衛的悲観主義者はすべてが悪いほうに転ぶ可能性を考えることによって不安を緩和し、往々にして悪い結果を回避すると、ノレムは言う。

 一方で防衛的悲観主義者がポジティブ思考を強要されると、潜在能力を発揮できなくなる。ノレムによれば、アメリカ人の25~30%が防衛的悲観主義に当たる。

 ポジティブ思考のもう1つの弊害は、現実から目をそらす「否認」だ。深刻な状況に陥っているのは明らかなのに、すべてうまくいくと信じて、問題の解決を図ろうとしない。

『ポジティブ病の国、アメリカ』(邦訳・河出書房新社)の著者バーバラ・エーレンライクは、08年の金融危機の責任の一端は人々が住宅ローンを払えなくなるといった悪いシナリオから目を背けたことにあると指摘する。

 結局、現代人が抱える複雑な問題を一気に解決して幸せをもたらすような魔法の心理療法はない。人生がうまくいかなくなったときに後ろ向きの感情を抱いてしまうのは、決して悪いことではない。

「いつも前向きでいる必要はないし、第一そんなことは不可能だ」と、ノレムは言う。「前向きでいられないのは心に問題があるせいではない。人間としていろんな感情を持つのは当然のことだ」