最近、企業でも活用されているという「マインドフルネス」そのやり方は 道元の説く(もっとも、坐禅としては禅宗全体でも大きな違いはないと思うが) 「坐禅儀」とほぼ同じである。これが説かれたのが、寛永元年(1624)と 言われているから400年ほど前にもこの実践手法はあったということだ。 人間が大きく変わっていないのであるから、当然なのかもしれないが。 マインドフルネスと坐禅の実践手法をもう一度振り返り、どちらでもよいので 実践すると「坐禅をやった」など知魚大袈裟なものではなく、日ごろのちょっと やる仕草程度で頑張ってもらいたいもの。 1.マインドフルネス (1)背筋を伸ばして、両肩を結ぶ線がまっすぐになるように座り、目を閉じる 脚を組んでも、正座でも、椅子に座っても良いです。「背筋が伸びてその他の体の力は 抜けている」楽な姿勢を見つけて下さい。 (2)呼吸をあるがままに感じる 呼吸をコントロールしないで、身体がそうしたいようにさせます。 そして呼吸に伴ってお腹や胸がふくらんだり縮んだりする感覚に注意を向け、その感覚 の変化を気づきが追いかけていくようにします。 例えば、お腹や胸に感じる感覚が変化する様子を、心の中で、「ふくらみ、ふくらみ、 縮み、縮み」などと実況すると感じやすくなります。 (3)わいてくる雑念や感情にとらわれない 単純な作業なので、「仕事のメールしなくちゃ」「ゴミ捨て忘れちゃった」など雑念が 浮かんできます。そうしたら「雑念、雑念」と心の中でつぶやき、考えを切り上げ、「 戻ります」と唱えて、呼吸に注意を戻します。 「あいつには負けたくない」など考えてしまっている場合には、感情が動き始めていま す。「怒り、怒り」などと心の中でつぶやき、「戻ります」と唱えて、呼吸に注意を戻 します。 (4)身体全体で呼吸するようにする 次に、注意のフォーカスを広げて、「今の瞬間」の現実を幅広く捉えるようにしていき ます。 最初は、身体全体で呼吸をするように、吸った息が手足の先まで流れ込んでいくように 、吐く息が身体の隅々から流れ出ていくように感じながら、「ふくらみ、ふくらみ、縮 み、縮み」と実況を続けていきます。 (5)身体の外にまで注意のフォーカスを広げていく さらに、自分の周りの空間の隅々に気を配り、そこで気づくことのできる現実の全てを 見守るようにしていきます。 自分を取り巻く部屋の空気の動き、温度、広さなどを感じ、さらに外側の空間にも(部 屋の外の音などに対しても)気を配っていきます。それと同時に「ふくらみ、ふくらみ 、縮み、縮み」と実況は続けますが、そちらに向ける注意は弱くなり、何か雑念が出て きたことに気づいても、その辺りに漂わせておくようにして(「戻ります」とはせずに )、消えていくのを見届けます。 (6)瞑想を終了する まぶたの裏に注意を向け、そっと目を開けていきます。 伸びをしたり、身体をさすったりして、普段の自分に戻ります 姿勢は?: 呼吸が楽にできて、一定時間止まってくつろげる姿勢であれば何でもOK。 立ったままでも、座ったままでも。 時間と頻度は?: GoogleでマインドフルネスとEQのプログラムSIY(Search Inside Y ourself)を創り出し、世界で注目されているチャディ・メン・タンは、「ひと呼吸で も、数分であっても、あなたができる時間であればそれがベストな時間」と言っている 。はじめは、がんばりすぎず無理のない範囲で行い、気に入ったら時間を延ばせばよい 。頻度についても同じく、気が付いたらちょこちょこ気分転換のつもりで。 場所は?: 瞑想中に家族や同僚に見られて、怪しまれたらどうしよう――多くの人が この不安を持っているようだ。人知れず自宅で静かに、というのが便利で理想的ではあ るが、それも難しい場合、電車やバスでの移動中、カフェ、電車や信号の待ち時間、会 社の席でPCの画面や資料をうつむいて読むふりをしながら、など。参考にして自分の環 境で探してみよう。 やり方は?: 今すぐ、そのままの状態で立ち止まり、意図的に自分に注意を向けてみ よう。目は閉じても、うつむいた状態でもよい。うつむいた状態は、人から見られても 怪しまれないというメリットあり(笑) 次の瞬間も、同じく自分に注意を向ける、そ してまた次の瞬間も、という風に。これを少しの間続けるために、今自分の中で起こっ ている呼吸を注意の対象としてみる。まずはこれだけで十分。(ビデオインストラクシ ョンはこちら) そう、今このブログを読むのを30秒だけやめて、上記をトライしてみよう。それだけ で、あなたはすでにマインドフルネス瞑想経験者だ。 【より楽しんで継続するためのコツ】 心地よさや自由をのびのび味わう: マインドフルネス瞑想の最中は、どこにも行かな くていい、何もしなくていい、誰かになる必要もない。ただ、あるがままでいられる何 より自由な時間だ。この時間だけでも、先の計画や心配事から自分を解放しよう。楽に 呼吸を続け、今の自分とともにある自由さ、くつろぎを体感できたらさらに続けたくな る。はじめからストイックに修行だと思わないほうがいい。 1日を振り返って、瞑想の影響・価値を考える: 立ち止まって瞑想した(あるいはし なかった)ことがどう影響したか、振り返ってみよう。「あれ、今日はなぜか苦手な上 司ともうまく話せた」「あれ、今日はなぜかイライラしがちだった」など。そして続け る価値があると思えば、続けたり深めたりすればよいし、そうでなければ無理に続ける 必要はない。自発的に、自由に行うこと。 雑念がやってくることも歓迎して楽しむ: 呼吸から意識が逸れて「昨日の○○さん、 なんであんな態度だったんだろう?」「今日のランチなににしよう?」など思いが「今 ・ここ」から外れることももちろんOKだ。雑念が浮かぶたびに「しまった!」「いけな い!」とダメ出しをしていると、瞑想は苦しいものになって、続けるのもいやになるだ ろう。それらの思いは何であれ、あなたの「今・ここ」に訪れてくれた訪問者として迎 え入れ、それからまた呼吸に意識を戻せばよい。このニュートラルな感覚は、日常生活 やビジネスでも冷静さや信頼感を創り出す、重要な基盤となってくれる。 2.坐禅儀より 坐禅の悪い所は、一般の人に何か大変なもの、苦痛が伴うものという怖れを引き起こす ような 導きかたをしているからではないだろうか。 坐禅儀の所作との対比 正法眼蔵 第十一 坐禅儀 (ざぜんぎ) 参禅は坐禅なり。 坐禅は静処よろし。坐蓐あつく敷くべし。風烟をいらしむることなかれ、雨露をもらし むることなかれ、容身の地を護持すべし。かつて金剛の上に坐し、盤石の上に坐する蹤 跡あり、かれらみな草をあつく敷きて坐せしなり。坐処あたたかなるべし、昼夜暗から ざれ。冬暖夏涼をその術とせり。 所縁を放捨し、万事を休息すべし。 善也不思量なり、悪也不思量なり。 心意識にあらず、念想観に非ず。 作仏を図することなかれ、坐臥を脱落すべし。 飲食を節量すべし、光陰を護惜すべし。頭燃をはらふが如く坐禅を好むべし。黄梅山の 五祖、異なる営みなし、唯務坐禅のみなり。坐禅のとき、袈裟をかくべし、蒲団を敷く べし。蒲団は全跏に敷くには非ず、跏趺の半ばよりは後ろに敷くなり。然あれば、累足 の下は坐蓐にあたれり、脊骨の下は蒲団にてあるなり。これ仏々祖々の坐禅のとき坐す る法なり。 あるいは半跏趺坐し、あるいは結跏趺坐す。 結跏趺坐は、右の脚をひだりの股の上に置く。左の足を右の股の上に置く。左の足を右 の股の上に置く。脚の先、各々股と等しくすべし。参差なることえざれ。 半跏趺坐は、ただ左の足を右の股のうへに置くのみなり。 衣衫を寛繋して斉整ならしむべし。右手を左足の上に置く。左手を右手の上に置く。 二つのおほ指、先あひささふ。両手斯くの如くして身に近づけ置くなり。二つのおほ指 のさし合わせたる先を、ほぞに対して置くべし。正身端坐すべし。左へそばだち、右へ 傾き、前にくぐまり、後ろへあふのくことなかれ。必ず耳と肩と対し、鼻と臍と対すべ し。舌は、かみのあぎにかくべし。息は鼻より通ずべし。唇・歯あひつくべし。目は開 すべし、不張不微なるべし。 斯くの如く身心を調へて、欠気一息あるべし。 兀々「ごつごつ」と坐定して思量箇不思量底なり。 不思量底如何思量。 これ非思量なり。 これすなはち坐禅の法術なり。 坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり。不染汚の修証なり。 寛元元年癸卯冬十一日、越州吉田県吉峰に在って精舎の衆に示す 參禪は坐禪なり。 坐禪は靜處よろし。坐蓐あつくしくべし。風烟をいらしむる事なかれ、雨露をもらしむ ることなかれ、容身の地を護持すべし。かつて金剛のうへに坐し、盤石のうへに坐する 蹤跡あり、かれらみな草をあつくしきて坐せしなり。坐處あきらかなるべし、晝夜くら からざれ。冬暖夏涼をその術とせり。 諸縁を放捨し、萬事を休息すべし。善也不思量なり、惡也不思量なり。心意識にあらず 、念想觀にあらず。作佛を圖する事なかれ、坐臥を脱落すべし。 飮食を節量すべし、光陰を護惜すべし。頭燃をはらふがごとく坐禪をこのむべし。黄梅 山の五祖、ことなるいとなみなし、唯務坐禪のみなり。 坐禪のとき、袈裟をかくべし、蒲團をしくべし。蒲團は全跏にしくにはあらず、跏趺の なかばよりはうしろにしくなり。しかあれば、累足のしたは坐蓐にあたれり、脊骨のし たは蒲團にてあるなり。これ佛佛祖祖の坐禪のとき坐する法なり。 あるいは半跏趺坐し、あるいは結果趺坐す。結果趺坐は、みぎのあしをひだりのももの 上におく。ひだりの足をみぎのもものうへにおく。あしのさき、おのおのももとひとし くすべし。參差なることをえざれ。半跏趺坐は、ただ左の足を右のもものうへにおくの みなり。 衣衫を寛繋して齊整ならしむべし。右手を左足のうへにおく。左手を右手の うへにおく。ふたつのおほゆび、さきあひささふ。兩手かくのごとくして身にちかづけ ておくなり。ふたつのおほゆびのさしあはせたるさきを、ほそに對しておくべし。 |
2016年10月1日土曜日
マインドフルネスのコツ、坐禅儀の実践
トランスパーソナル
マズローの自己実現的人間の特徴とは、 ①現実をより有効に知覚し、それと快適な関係を保っている。 ②自己、他者、自然に対する受容的態度 十分に事故に満足しており、それだけでなく、人を受け入れることが出来、 自然を愛している。 ③自発的な行動 ④物事に対して「自己中心的でなく、問題中心的である」こと。 ⑤「孤独、プライバシーを好み、欠乏や不運に対して毅然としている」こと。 ⑥文化や環境からの自立性、つまり流行やまわりの意見、時代の価値観に 振り回されず、自分で考え、判断する能力。 ⑦人生の基本的に必要なことを繰り返し新鮮に、無邪気に、畏敬や喜びをもって 味わうことができる。 ⑧しばしば神秘経験や至高経験をしていること。 ⑨共同社会感情 愛情が家族や仲間だけに限定されず深い人類愛にある。 ⑩深い対人関係 ⑪民主的性格構造 自分も人も人間として全く平等な価値や権利を持っている。 ⑫手段と目的の区別 手段に必要以上にこだわることがない。 ⑬哲学的で悪意のないユーモアのセンスがある。 不必要なこだわりがなく、自信があり、暖かい愛情を持っている。 ⑭創造性 ⑮文化に組み込まれることに対する反抗心 これは⑥とも重なる。 ⑯確固とした価値体系を持っている ⑰対立性、二分性の解決や欲望と理性の調和 ロジャーズやマズローらの人間性心理学の自己超越の概念を発展させて、個を超える領 域への精神的統合を重んじる心理学。 臨床的には一定の効果が確認されているが宗教、神秘主義であるという批判も根強い。 代表者はスタニスラフ・グロフ、ケン・ウィルバー。 以下は支持する立場からの宣言文的紹介。 トランスパーソナル心理学は、哲学であり、思想であり、学問であり、幸福論であり、 自分学であり、医療であり、すべての科学の理論(物理学や量子力学をも含む)と、実 証されたことを結集して、より高度な心理状態を達成しようというものであり、セラピ ーやワークをともなう。 孤立、不安、悩み、いらだち、身勝手さ、憎しみ、争い、奪いあい、殺しあい、とめ どもない精神破壊、環境破壊から、個人や人類が生き延びるためにはどうしたらいいの か。 近代的なアメリカ式個人主義は、すでに限界に来ており、その限界は越えなければな らないし、越えられるということである。 個人や国家が健やかに生きるために、資本主義も、社会主義も行き詰まってしまった 現代において、この思想以外に信じるべきものが、ぼくには他に見当たらないのだ。 これは、現代思想の最前線にあり、政治・経済の体勢だけでなく、人間の”心”をど うするかについて、普遍的で妥当な提案を含んでいる。 心のそれぞれの発達段階、心の層に応じたさまざまなセラピーの統合、というトラン スパーソナルの骨組みは、孤立した個人性という意識を越え、個を越えたもの(他者・ 共同体・人類・生態系・地球・宇宙、そしてブラフマン・神・空といった)との一体感 を回復するという意味できわめて宗教的でありながら、排他的でなく、他者による再実 験・反論・修正が可能でオープンな仮説であるという意味で科学なのだ。 トランスパーソナルの主張をまとめると、次の3つのポイントになる。 1.人間の成長は、自我の確立、実存の自覚、自己実現などの言葉で示される <人格=個人性=パーソナリティ>の段階で終わるのではなく、他者・共同 体・人類・生態系・地球・宇宙との一体感・同一性(アイデンティティ)の 確立、すなわち<自己超越>の段階に到達することができる。 2.人間の心は生まれつき、構造的にそうした成長の可能性をもっている。 3.その成長は適切な方法の実践によって促進できる。 周囲に流されることなく、自ら判断し、自分の命の、かけがえのないすばらしさ、愛 しさを知っているからこそ、他者の命をも尊重することのできる、理性、批判力、独立 性、自律性といった、個人的なもっとも正当で生産的な面を充分に包み込みながら、そ れを越えていくこと、”自己放棄”ではなく”自己確立”を経たうえでの”自己超越” (トランスパーソナル)である。 いい人にならなければならない、なりたい、なろうと思うだけではなれないのは、エ ゴイズムが、知識、理性、意識の問題ではなく、人間の魂の奥深いところの問題、いわ ば「深層心理」の問題であるからではないのか。とすれば、いかにして、心の深層に深 く根を張ったエゴイズムを絶ち切り、枯らせてしまうことができるのか、しかしそれは 、他人の話しではなくまず自分のことにおいてなのだ。このことこそが、ずっとぼくが 抱え込んできた問題なのだ。 トランスパーソナルな人たちは、エゴイズムの根深さ、深層性を十分認識したうえで 、それでも人間の心は構造的にエゴイズムを越えることができるようにできていると主 張する。 キリスト教の”原罪”、仏教でいう”無明”の再発見であったといってもいい。その 点で「人間は根本的に罪深いもので、原罪は人間の力では解決できない」とする正統キ リスト教よりも、「闇がどれほど深くても光が照ったとき、たちまちにしてなくなるよ うに、永遠の昔からの無明も悟ったとたんに克服される」とする仏教思想に近いのだ。 トランスパーソナルは、西洋科学(心理学)と東洋宗教(特に禅)の統合という面を もっている。最終的に目指す心理状態は、悟りなのだ。 アメリカでは、禅は、鈴木大拙の英文の著作によって知識として早くから知られてい た。それに加えて、臨済宗系は西海岸の千崎如幻や東海岸の佐々木指月らの活動、曹洞 宗系は鈴木俊隆のサンフランシスコ禅センターや前角博雄のロサンジェルス禅センター における活動などによって、坐禅の実習が広範囲に行われるようになっていた。カリフ ォルニアでは、神父、牧師たちが座禅をしているという。 般若心経の最初に出てくるように、仏教が生み出したものの中で禅が何よりも重視し ているのはキリスト教と同じく言葉である。 形は空と異ならず 空は形と異ならず 形はまさしく空であり 空はまさしく形である 二千年後、西洋の物理学がこの説に同意した。 科学的な宇宙の考え方は量子力学と、エネルギーと物質を別の物と考えることに疑問 を呈したアインシュタシンの相対性理論によって、根本的に変わった。宇宙が論理的に 行動する微細な固形物で出来上がっているという都合のよい考え方はこっぱみじんに吹 き飛んだ。粒子は別個の存在ではなく、互いに関連している。世界は相互に関連した出 来事の連続であり、とぎれることのない動的な総合だ。科学者は今、観察者ではなく参 加者になった。そして物理学と神秘主義には、はっきり平行線に達し、ひとまわりして 元に戻った。ぼくの性格も、ひとまわりして元に戻った。 「(現代物理学の)発見には強力な認識がひそんでいる。すなわち、これまで気がつか なかった精神の力を認識することで《現実》が形づくられるのであり、その反対ではな いということである。その意味で物理学の原理と、悟りの原理である仏教の原理に一線 を画せなくなる」 誤解を恐れずに端的に言うと、トランスパーソナルとは、それぞれの心理の成長段階 に適した心理的処方をあたえる事により、個人が個人意識を越え宇宙のふところに深い 安らぎを見いだした心境、<宇宙意識>=個と宇宙の一体感(仏教でいう悟りの境地) にまで、誰でも到達することができるという体系なのだ。 そして処方を与えるのは、自分自身であるから、自分を突き詰めて行くことこそが、 最大の主題になる。 知らず知らずのうちに自分の内面に押しやられてしまった面も含めて、 自分自身を認め、自分らしく生きる… それが、ユングの言うところの「自己実現」です。 この考え方は、1960年代の米国で急速に支持されるようになります。 なぜなら、当時のアメリカでは、 大学紛争や反戦運動、ウーマン・リブ運動などが盛んとなり、 人間性の解放(すなわち、社会的規範による抑圧からの解放)が 叫ばれる時代だったからです。 このような流れで生まれたのが、「人間性心理学」という新しい学問。 代表的な心理学者としては、 カール・ランソム・ロジャーズやアブラハム・マズローらがいます。 ●ロジャースの代表的な理論 「人間の変容は、来談者と治療者の出会いによって達成される」 ●マズローの代表的な理論 「人が生まれつき持っている能力を発揮するのが自己実現である」 トランスパーソナル心理学の誕生 ユング心理学の理論、そして、ロジャースやマズローらによる 「人間性心理学」の影響を受けて誕生したのが、 「トランスパーソナル心理学」です。 トランスパーソナルとは、読んで字のごとく、 「個を超えた」という意味。 「個を超える」という言葉には、次の2つの意味があります。 ◆水平方向のつながり 対話を通じて、性や民族の違いを超えて 水平方向につながりを広げていこうという考え方。 ◆垂直方向のつながり 瞑想やヨガ、禅修行やシャーマニズムといった内的な体験を通じて、 自分の身体や感覚に直接アプローチすること。 言葉や意識の働きを超えて、無意識でつながろうというアプローチ法。 …つまり、横にも縦にも広くみんなとつながろうぜ!! という考え方ですね。(ちょっと乱暴な言い方ですが…) 垂直方向につながることは、神話や古典文学といった 古くから伝わる「イメージの世界」を大切にすることにも つながっていきます。 これはつまり、ユングが提唱した 「集合的無意識」にも関係する考え方ですよね。 トランスパーソナル心理学の特徴 トランスパーソナル心理学の最大の特徴は、東洋的瞑想を重視したこと。 具体的な方法としては、瞑想やヨガ、禅修行、気功法、太極拳…等々。 これは、「垂直方向のつながり」にカテゴライズされ、 言葉を介さずに自分自身の身体や内面に直接アプローチする方法です。 実は、この点については、 ユングとはちょっと考え方が違っているところ。 ユングは、このように言葉を介さずに内面にアプローチする方法は あまり好みませんでした。 なぜならば、意識的に考える力や、 他者と対話する力を弱めてしまうからです。 しかし、ユングが活躍した時代と比べて、 急激に西洋的な合理主義思想が拡大した現代にあっては、 水平方向に浅いつながりは拡大しつつも 垂直方向の深いつながりは弱くなっていく一方です。 こうした状況に警鐘を鳴らす学者も多く、 東洋的思想を重要視する声も多くなっているのです。 加えて、ユングの時代よりも東洋的な思想に関する研究が進み、 人々に受け入れられやすくなっていることもまた事実。 トランスパーソナル心理学が東洋的な思想を大胆に取り入れている背景には、 このような「時代の変化」も大きく影響しているようですね。
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